水のコンテンツ⑩ 『水』をとりまく諸問題 その10
  21世紀の『緊急課題』-③


・山で》水源どこに・・・飲料水各社、確保に苦心
水源を脅かす「産廃」

 日本人は水道水を飲まなくなってきた。おいしい水といえば「ミネラルウオーター」の時代だ。だが、そのミネラルウオーターの水源を確保することすら、日本では容易でなくなりつつある。豊かな水の国はどうなったのか。

 標高1000メートル近い急斜面の杉林に水源は隠されていた。富士山の北側を一望する山梨県西桂町の三ツ峠山の中腹だ。
 国立公園内の県有林の一角がフェンスで覆われていた。私有地2300平方メートルの地下に直径5メートル、深さ6メートルの施設がある。そこで地下水を集め、パイプでふもとの市街地近くに送る。
 飲料水ビジネスで世界首位のネスレグループ(本部・スイス)が日本で売っている「こんこん湧水(ゆうすい)」の水源だ。

 「水が将来、汚染される恐れがないか、周囲の環境を私たちがコントロールできるか。水の味や質、量とともに重要な判断材料だ。厳格に追求したら、日本の主な競争相手の水源で最も標高が高くなった」
 ネスレの水部門を担う仏ペリエ・ヴィッテル社のフリッツ・バンダイク最高経営責任者(CEO)は説明する。
 同社は「水は国の宝。汚れると数百年修復できない」と水源保全で予防を徹底する。商品名にもなった仏ビッテル村では、農家に農薬や化学肥料を使わないように求め、道路は有害物質が染みこまないようシートを埋め込んである。

 日本では水源を探し当てるのに2年以上かかった。静岡など複数の候補地を検討し、水源の近くに住宅や工場、農地などがあればはずした。環境や水質が良くても工場や運搬に資金がかかりすぎると断念した山林もあった。
 「日本で新しい水源を探すなら国立公園の近くか、開発が及ばない山岳部しかないだろう」。国内外の地質学者の見方は一致している。

 国内首位のサントリーや日本コカ・コーラの水源が集中する南アルプスのふもと、山梨県白州町では、地下水の大量くみ上げが問題になっている。将来はサントリーも別の水源が必要になるともみられている。
 全国約400社といわれるミネラルウオーターの水源の中にはゴルフ場に近い例もある。水源の周辺環境に対する消費者の関心が強まると、淘汰(とうた)が進むかもしれない。
 水道水に不信感を持つ都市部の住民は、清浄な山間部の水を飲めばいいと考えがちだ。その山でも環境が悪化し、水が脅かされている。


 ●ダム上流に浄水器設置――基準値の2倍の水銀検出も

 水をはぐくむ山間部には大量のごみが押し寄せている。

 長崎市民の4割にあたる17万人の水道水源になっている神浦(こうのうら)ダム。その約4キロ上流で巨大な「浄水器」が動き出した。
 市北西部の三方山(標高411メートル)山腹に16本のパイプを刺し、地下水をひとつに集め、水処理プラントの活性炭でろ過する。24時間稼働で1日約100トン。近くの沢に流し、最終的に神浦ダムに入る。
 頂上に近い産業廃棄物処分場から染み出てくる水銀や鉛などの重金属を取り除くためだ。
 事業費5400万円は処分場を運営する民間の産廃業者が市と折半した。維持費の年300万円は業者の負担だ。

 「10年か20年か、重金属がなくなるまで続けざるを得ませんよ」。市の担当者は半永久的な処理を覚悟している。
 ろ過が始まったのは昨年4月。ところが、今年1月になって処理水から環境基準の4倍の総水銀が検出された。活性炭の寿命を見誤ったためと市は説明している。
 かつて76年に付近の井戸が使用禁止になり、98年に基準値の2倍近い総水銀が検出された。そんな汚染は簡単に解消しそうにない。

 ●規制法前に「汚染」終了――素掘りの穴に下水汚泥を廃棄


 なぜ水銀や鉛が処分場から出るのか。

 処分場は75年から87年まで市の下水汚泥を受け入れ、素掘りの穴に埋めていた。
 この下水汚泥が原因と市はみる。下水に工場排水や家庭用塗料が流れ込み、汚泥に重金属が残ることがあるからだ。
 いまの規制では下水汚泥は管理型の産廃として、埋め立て地にシートを敷くなど漏水防止策が義務づけられる。75年当時は規制がなかった。

 処分場による水源汚染問題を追及している地元の垣越正俊さん(71)は「業者は下水汚泥以外にも、汚染源となる廃棄物を受け入れ、埋めていたのではないか」と批判する。ただ、埋められた廃棄物の種類や量がはっきりしない。
 産廃業者の言い分はこうだ。「当時の法律にそって埋めていただけだ。下水汚泥から重金属が出るなど想像できなかった。行政の対応が後手になっているんですよ」
 全国には都道府県許可の約3000カ所以外に小規模な処分場が無数にある。廃棄物処理法の産廃規制が91年、さらに97年の改正で強化される前に埋め立てを終えたところも少なくない。


●発見遅れる不法投棄――富士山のすそ野に廃液5トン


 廃棄物の不法投棄も水にとって脅威だ。

 ミネラルウオーターの水源が点在する富士山のすそ野。西側に広がる朝霧高原で今年3月、不法投棄された危険な廃液「硫酸ピッチ」4.65トンとドラム缶68本が静岡県によって撤去された。汚染された土壌7.4トンも取り除かれた。
 石油の精製工程などから出る油状の廃液はドラム缶を溶かし、原野に漏れ出していた。撤去は防毒マスクをした作業員が約1カ月かけた。

 朝霧高原は同県富士宮市の最上部。南西に約4キロ下ると、約850人の簡易水道が水源に使っているわき水がある。ほかの地下水汚染も恐れた静岡県は、不法投棄者がみつからず、県として初めて産廃撤去の代執行に踏み切った。
 地元で不法投棄を監視する市民パトロール隊の永井治利さん(65)は「不法投棄でガスが出ている場所もある。何が埋められたのか、水への影響が心配だ」という。

 首都圏の産廃業者によれば、都市部に近い里山は不法投棄されがちだ。林道があればトラックが入り、人目につきにくい沢や林の中に捨てる。最近は林業の衰退で山で仕事をする人が減っているから、発見が遅れる。
 無秩序に埋められ、捨てられた都市のごみは山に隠された「地雷原」といえるかもしれない。山の水を知らぬ間に、むしばんでいく。


 ◆ミネラルウオーター年1000億円時代――水道に不信感


 容器入り飲料水「ミネラルウオーター」の売り上げが家庭用を中心に増え、年間1000億円の市場に膨らんでいる。水道水の代わりに飲むだけでなく、調理にも使われ、暮らしに深く入り込んできた。背景には、水道水への根強い不安感や健康志向がある。

 ぜんそくに悩まされる川崎市の主婦(60)は、浄水器のカートリッジ交換のときの汚れを見て、水道水が怖くなった。家族3人で月に10リットル入り10箱のミネラルウオーターを使う。1万円以上かかっても「薬代に比べれば安い」と思う。
 東京都渋谷区の主婦(30)は結婚、妊娠がきっかけだった。集合住宅の水道管を洗うときの鉄さび色の水に驚き、浄水器よりミネラルウオーターを選んだ。福岡の実家は井戸水。「水はただだと思っていたから抵抗があったが、子どもの健康には代え難い」
 東京都荒川区の主婦(63)は好きな日本茶をおいしく飲みたいからだ。浄水器を通した水道水では満足できない。

 水道水に対しては、水源となる河川などの汚濁だけでなく、浄水場で使う消毒用塩素によるカルキ臭や、発がん性を指摘されるトリハロメタンなどの生成、配水管や集合住宅の受水槽の汚れなどが不安の要因になっているようだ。
 家庭で使う水道用の浄水器の普及率は業界団体によると、4世帯に1世帯に達している。浄水器を通した水を調理に使い、飲み水はミネラルウオーターとする消費者も少なくない。また、水道水はふろや洗濯、皿洗いなどの生活用水にしか使わない徹底派もいる。

 健康志向の高まりも目立つ。飲料は甘さを控える傾向にあり、突き詰めると水に行き着く。ミネラル分が多く含まれた硬度の高い輸入品を通じてカルシウムなどを摂取する動きも出ている。
 ミネラルウオーターの約8割が家庭向けの2リットルや1.5リットル容器。スーパーや薬局を中心に売られている。高いと200円前後、安いと150円前後、特売で100円程度の例もある。値下がりも家庭の利用増を支えているようだ。
 一方、ミネラルウオーターはペットボトルのごみを大量に生み出している。「おいしい水は飲みたいが、ごみは減らしたい」。社会が抱えたジレンマだ。

(朝日新聞 2001/4/15)



■《水・川で》生活の汚れ放流
 家庭のパイプから漂白剤・ヘアカラー… 

 日本の水道の7割が川や湖を水源にしている。水道水が飲まれない理由のひとつはその汚れだ。
 ◆処理手薄な浄水場の上流――排水60万トン超がたれ流し


 利根川・江戸川の最下流で取水する東京都水道局の金町浄水場。「日本一まずい」といわれた味をよくするために、「高度処理」の設備を初めて本格導入したことで知られる。
 延長322キロ、流域に1200万人が暮らす利根川・江戸川はさまざまな排水を飲み込んで流れている。
 金町浄水場の佐藤親房技術課長は「日常的な汚れの4分の3が生活排水」とみている。次に気になるのは、畜産排水に含まれる病原性原虫や農地から流れ出る農薬だ。

 だれがどう汚しているのか。金町から川をさかのぼってみた。
 利根川上流の山あいの町。中心部の水路には住宅のパイプから白く濁った水が流れ出る。ふろや洗濯、炊事の排水だ。油や漂白剤、ヘアカラーがまじることもある。
 人口6500人の半数以上の生活排水が水路から利根川に流れている。下水道も、し尿・生活排水を処理する合併浄化槽もないからだ。

 「川に悪いと思うけど、宿泊客も減っている。合併浄化槽までは手が出せません」。民宿を経営する女性は語る。補助金を受けても40人用の合併浄化槽の取り付けには約250万円かかる。
 金町浄水場の上流域全体で、400万人以上が毎日60万トン以上の生活排水を無処理で川に流す計算になる。

 ◆化学物質の規制整わず――環境ホルモン1割が還流か

 「下水道は万能じゃない。川に流す処理水には何が入っているかわかりませんよ」
 自治体の下水道担当者は漏らす。

 処理水の排水基準は重金属など40項目。環境ホルモンをはじめ新手の化学物質は規制がない。国の調査では、処理場に入った環境ホルモンの1割が川に戻る。
 東京と千葉の下水処理水は飲み水への配慮から金町浄水場のすぐ上流を避け、隣の中川や東京湾の近くに流される。
 しかし、利根川の上流には、下水処理施設が37カ所あり、毎日約116万人分の処理水が最大75万トン放流されている。

 ◆家畜や農薬、悩みのタネ――病原性原虫で下痢の被害も

 埼玉県北部の養豚農家。千頭から出る1日約10トンの尿は豚小屋の隣の畑の穴にため、ふんは簡単な覆いをして乾燥させる。雨が降ればいずれも水路から川へ流れる。
 処理する浄化槽などには2千万〜3千万円必要だ。輸入肉に押されるなか、投資は難しい。

 家畜のふんは病原性原虫クリプトスポリジウムやジアルジアの温床だ。塩素で死なないクリプトは96年、同県越生町の町民の半分以上が下痢をした水道事故で有名になった。
 牛や豚の施設は利根大堰から上流だけで400以上ある。
 虫や草の抵抗力と競争するように開発される農薬は、水道事業者の悩みのタネだ。

 埼玉県北川辺町で1.6ヘクタールの水田を耕す男性(67)は今月下旬の田植えから新しい除草剤に切り替える。
 「農薬は同じものを使い続けたら、効かなくなる。効き目があると聞けば値段が高くても新しい薬を使いたくなる」

 朝日新聞社は3月下旬、金町浄水場の取水口に近い江戸川の水の分析を公益法人の検査機関に依頼した。クリプトスポリジウムが「予想より多め」の10リットル中3個、ジアルジアも2個見つかった。環境ホルモンのビスフェノールAやフタル酸エステル類も検出された。
 「平均的な都市河川の汚れ具合ですよ」。水道水質の元締といわれる国立公衆衛生院の水道工学部長、国包(くにかね)章一さんが分析結果を診断した。

 日本の川を汚す主役は特定の工場から住民に代わり、暮らしを快適にする新たな化学物質が水道水を脅かしつつある。
 「浄水処理ですべての汚染物質を取り除くのは無理がある。安心して飲める水を得るには川の水質を良くするしかない」。国包さんは訴え始めた。
 世界でも有数の「安全な水道水」をつくるため、次々現れる汚染に新たな技術で対応するのが水道技術者の誇りだった。そんないたちごっこに限界を感じている。

      ◇            ◇
 ◆水道水の高度処理
 川や湖の水を砂でろ過して塩素消毒するのが一般的な浄水方法。汚染のひどい場合はかび臭やカルキ臭、塩素消毒によって発生する発がん性物質トリハロメタンや農薬などが取りきれないため、オゾンや活性炭などを加えた「高度浄水処理」で除去する。東京や大阪を中心に全国約30の浄水場で導入・建設中のほか、福岡市などが計画している。施設の建設や維持管理に多額の費用がかかる。
(朝日新聞2001/4/16)


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