水の歴史館(給水・下水)①-1   


   海外編
 ●私が昭和50年にヨーロッパ6ケ国(イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、スイス、スペイン)旅行で、一番印象に残ったのは「ポンペイの遺跡」です。また、その時、飲んだ「キリストの涙」と呼ばれるワインの味はいまだ忘れる事ができません。そのワインを5年ほど後に叔父がヨーロッパ旅行すると聞いて、お土産にとねだって買ってきてもらったほどです。
 とにかく、その「ポンペイの遺跡」は過去の歴史産物がそのまま発掘されたという超感動ものです。皆さんも、ヨーロッパ旅行の機会がありますたら、ぜひ、訪れてみて下さい。絶対、お薦めです。
ポンペイ(古代ローマ)の水道
水道の歴史は非常に古く、現在判明している世界最古の水道(と言える組織的なもの)は、古代ローマのアッピア(またはアピア、APIA)水道で、紀元前300〜400年前に建設されたと言われています。

ローマ帝国時代には特に多くつくられたらしく、かの有名なベスビオ火山の爆発(紀元79年)によって埋没したポンペイや、アフリカ北岸の古代都市にも立派な水道がありました。壮大な水道橋などの遺跡も残されています。

また、南アメリカのペルーを中心とした中世期のインカ帝国にも水道があり、謎の空中都市(山頂都市)として知られるアンデス山中のマチュピチュにも、水道が発見されています。

しかし、古代から中世までの水道は、高低差による導水、配水が主で、単に飲料に適した水を引くという水道にすぎませんでした。

ポンペイの遺跡、遙かにベスビオ火山を望む
ポンペイ街路の水道井 ポンペイは紀元前八世紀頃に建設されたローマと同じぐらい古い都市で、商業、農業その他の産業で栄えてきました。

しかし、紀元62年に襲ったベスビオ火山噴火の予兆ともいえる大地震のため町は壊滅しました。その後、市民の努力により、町は前にもまして繁栄しますが、なんとその17年後、大惨事が町を襲います。歴史に残るベスビオ火山の大噴火です。

この大爆発によりポンペイは火山灰の下に埋もれてしまい、人々からも忘れ去られます。1600年の歳月が流れ遺物が発見されますが、発掘が始まったのは19世紀になってからです。一瞬にして火山灰に覆われたため、実にリアルな状態で遺跡が発掘されました。

ポンペイ街路の水道井
通りの側道に散見される水道井は、その底が地下の水道配水路につながっています。当時、ここは主婦たちの井戸端会議の場であったかもしれません。
ポンペイの街路と踏み石
ベスビオ火山を望むポンペイの街路
ポンペイの主な通りの一つです。中央の石造りの街路は、出水時に水が凹部を流れますが、そのとき反対側に渡る踏み石があるのが面白いですね。

日本の河川水 大陸の水
竜王峡(鬼怒川上流、栃木) 蛇行するミシシッピ川下流
竜王峡(栃木) - 延々と蛇行するミシシッピ川下流
日本の河川水の特徴は、塩類や硬度 成分が少なくシリカが多いことです。人為的な汚染が
なければ、我が国の河川水や湖沼水(表水)は、山紫水明の言葉通りの清澄な水です。
大陸の中でも、ヨーロッパの水は特に硬度成分が多く、日本人にとっては美味しい水とは言えません。それどころか、硬度の低い水になれている我々は、しばしば下痢をおこします。


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