水のコンテンツ⑧『水』をとりまく諸問題 その8
  21世紀の『緊急課題』-①


浪費・干ばつ・洪水被害…「水」危機
 21世紀、供給不足は世界の課題
 水は地球上に生命を誕生させた。そして地球は「水の惑星」と呼ばれる。その水が危機にひんしている。急激な人口増加や産業の発展は水不足や水質汚染を引き起こした。さらに石油の大量消費による地球温暖化が世界の気象バランスを崩し、各地で大規模な干ばつと洪水被害をもたらしている。今世紀後半から顕在化したこれらの問題は、21世紀に人類が取り組まなければならない最大のテーマの一つだ。新世紀を前に「水」の現状をみた。

 ★100年前の6倍
 「現在の人類は100年前に比べ6倍の水を使っており、2025年には世界人口の半分(約40億人)が水不足に苦しむ」。2000年3月22日の「世界水の日」にオランダ・ハーグで開かれた第2回世界水フォーラムは、21世紀の水不足への警告「水ビジョン」を発表した。同フォーラムは、国際的な水不足対策を考えるために1996年に発足した世界水会議(WWC)が主催し、世界各地の政府関係者、研究者、NGO(非政府組織)が集まった。

 地球には14億立方キロメートルの水が存在するが、その97%は利用に適さない海水だ。残る3%のうちの7割は氷河や地下水で、人間の飲料用や農業用に利用可能な淡水はわずか0・3%しかない。現状でも中国、インド、中央アジア、中東など31カ国が水不足に悩んでいるが、今後、水不足はさらに進み、2025年には48カ国に増えるとWWCは予測している。

 水不足の原因である人口増加は、今後も当分続きそうだ。世界の人口は今世紀初頭に約16億人だったが、今年には約61億人に。WWCが設置した「21世紀のための水ビジョン委員会」メンバーの高橋一生・国際開発研究センター所長は「アフリカ諸国の都市人口の増加率は年5%で、90年に1億4000万人だったが2020年には5億人になると見積もられる」と話す。

 ★食糧不足に拍車
 水不足は食糧不足にもつながる。高橋さんは「米・麦の栽培には水が必要だ。食糧が米・麦中心、さらに肉食へと進めば、飼料をつくるためにさらに水が必要になる」と指摘する。

 温帯に位置する日本は、水には恵まれているが、多くの穀物を輸入に頼っており、世界の水不足に無関心ではいられない。

 大豆、小麦、大麦、トウモロコシなど日本が輸入した穀物全部を栽培するために必要な水の量は、年約52億立方メートルに及ぶ。これは日本の人口の4分の1にあたる3000万人分の水道用水供給量に匹敵する。

 ★地球温暖化の影
 干ばつと洪水。近年、異常気象による被害のニュースが増えている。その原因として挙げられるのは、都市化による土地利用の急激な変化や、降った雨水をためておく保水力を持つ森林の伐採だ。

 だが、これらに加え、地球温暖化の影響も無視できない。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)2次報告書によると、温暖化により、雨の多い地域にはさらに雨が降るようになり、乾燥地はさらに降らなくなるという。

 中国の黄河下流では水の流れがなくなる現象が起きている。その原因は農業用水の取水量の増加とされるが、温暖化により降水量が減ったこととも関連しているという指摘がある。

 ★政治対応が必要
 迫りくる水の危機に、どう対処したらいいのか。3月の世界水フォーラムでは初めて閣僚会議も開かれ、「21世紀には水の安全保障を考えなければならない」との認識で一致した。

 同フォーラムの第3回会合は2003年に日本で開催される。建設省から出向し、第3回世界水フォーラム準備事務局事務次長を務める広木謙三さんは「これまで技術者などの専門家だけで話し合われてきた問題が、政治レベルでの対応が必要であることが確認された」とハーグでの成果を評価した上で、「今後は『各国の水事情がどのようになっているか』という情報、経験の共有が必要となる」と話している。

世界で起きた最近の主な洪水被害■(世界水フォーラム準備事務局の資料による)
年月 国名 主な被害
1993年6月 米国 ミシシッピ川大洪水。浸水面積4万平方キロで被災家屋8万4000戸。
95年1月 ドイツ、オランダなど 欧州各地で記録的な豪雨。ライン川での被災人口は数十万人にのぼった。
96年3月 UAE、クウェート、サウジアラビア ひょうを伴う集中豪雨で死者約290人に。
97年7月 ポーランド、チェコなど オーデル川などがはんらんし、チェコ国土の3分の1以上が浸水。死者108人、被災者は15万人以上に。
10月 ソマリア、エチオピアなど ジュバ川などが決壊し、死者約1300人。
98年1月 ペルー エルニーニョ現象の影響とみられる集中豪雨で死者285人、被災者11万人。
6月 中国 長江中下流で大洪水。死者3004人、被災者2億3000万人。経済損失2兆8000億円。
7月 インド、バングラデシュ ガンジス川のはんらんで、インドで18以上の村が水没。死者2425人。
韓国 南部や首都圏で集中豪雨による土砂崩れや家屋崩壊。死者227人。
10月 ニカラグア、ホンジュラス ハリケーンで大規模土石流。ホンジュラスは国土の半分が被害。死者1万8000人。
12月 ベネズエラ 大規模土砂災害と洪水で死者3万〜5万人。
2000年2月 モザンビーク 過去50年で最悪の洪水。被災者100万人。
*エルニーニョ現象=南米のエクアドルからペルー沿岸の太平洋東部赤道域の広い範囲で、海面水温が平年より1〜2度高くなる現象。半年から1年間続く。
(毎日新聞2000年12月10日)



予想外だった地球温暖化 「100年で6度上昇」予測も


 「温室効果ガスを削減しなければ、地球は過去一万年経験しなかったスピードで温暖化するだろう。将来の世代はいま、みなさんの手中にある」。地球温暖化問題を研究する世界の科学者で組織するIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のロバート・ワトソン議長は、演説をこう締めくくった。5日後の悲惨な結末を予想する者は、だれ一人いなかった。

 オランダのハーグで2000年11月13〜25日に開かれた気候変動枠組み条約第六回締約国会議(COP6)。180か国の代表、NGOなど約7000人が参加した国際交渉は、世界中の期待を裏切って決裂した。

 温室効果ガスの削減施策を各国に義務付ける、という人類初の仕組み作りは、二十世紀中にはめどが立たないことが確実になった。

 人類が石炭、石油などの化石燃料を大量消費し始めたのは、19世紀に本格化した産業革命以降のことだ。燃やしてエネルギーを取り出せば、二酸化炭素が排出される。人類の二酸化炭素排出量は今世紀初め、年間約5億トン(炭素換算)だった。それが今世紀の石油化学工業の発展で、現在約66億トンに達している。

 大気中の二酸化炭素量が増えれば、その保温効果で、太陽から受けた熱エネルギーは地球に温存される。スウェーデンの科学者、アレニウスは19世紀末、地球温暖化の仕組みをこう説明していた。「これが現実のものになっている」――1985年、オーストリアのフィラハに集まった各国の地球科学者らは、研究成果をまとめ、地球温暖化の可能性に警鐘を鳴らした。

 3年後にIPCCが設置され、温暖化現象を科学的に検証する国際組織が立ち上がった。

 IPCCは90年、第一次報告書を発表。「人類が二酸化炭素などの温室効果ガスを排出し続ければ、2100年には地球の平均気温が3度上昇。海面が最大一メートル上昇し、砂漠化も進む」と予測し、各国の政策決定者に早急な対応が必要だと警告した。

 科学者が、国際社会に具体的提言をした面でも、画期的な報告だった。

 これを受けて92年の地球サミット(ブラジル)で、温室効果ガスの削減を進める「気候変動枠組み条約」が署名され、国際社会はようやく温暖化への対策に取り組むことになった。

 97年の同条約京都会議(COP3)で、先進国に2012年までに平均5・2%の温室効果ガス削減を義務付けた「京都議定書」が採択された。しかしハーグ会議(COP6)で具体的削減ルールが決まらなかったため、国際的な取り組みは宙に浮いたままの状態になっている。

 温暖化の進行で国土を海面下に失う小島諸国、氷河湖のはんらんの危機が迫るネパールなど、実害を被る途上国は、早期の対策を訴え続けているが、一方で、温暖化対策が産業・生活構造に大転換を迫るという厳しい現実を認識し始めた、先進国同士のせめぎ合いが激化している。その中で“京都の誓い”は今、大きな危機にひんしている。

 過去四半世紀、地球の気温は「100年当たり3度」というピッチで上昇し続けている――米海洋大気局(NOAA)は2000年2月、地球温暖化が進行している実態を報告した。

 IPCCが先月、明らかにした第三次報告書の骨子は、「現状のまま進めば、2100年の温度上昇は最高6度にまで達する」と、予測を上方修正している。

 我々人類に残された時間は、決して多くはない。

 気候変動枠組み条約 地球温暖化を防止するための対策を盛り込んだ国際条約。1992年の地球サミットで署名され、94年に発効した。締約国は現在、186か国。温暖化は、地球を暖める働きがある二酸化炭素などの温室効果ガスが、化石燃料の使用に伴って増えた結果、引き起こされる。
 97年の京都会議で採択された京都議定書は、日本が6%、米国7%、EUは8%を削減する義務を課している。議定書の発効には55か国の批准が必要だが、先進国は一国も批准していない。(2000.12.14読売新聞加筆)



70年後の日本、気温は2.2度上昇 気象庁予測


 70年後の日本の気温は1月の平均で2度余り上がり、日本海側の降雪日は1カ月で4日以上減る――。気象庁は13日、日本付近の温暖化予測を発表した。1日の最高気温が0度未満の真冬日は、1カ月で7日余り減る地域が相次ぐという。

 大気中の二酸化炭素(CO2)濃度が70年後に現在の約2倍になると想定し、その前後10年間の61年から80年の気候を予想した。1月に絞って結果を公表した。
 それによると、月平均気温は、ほぼすべての地域で2度以上上昇し、中部山岳地帯や北海道では3度近い所もある。

 日本全体では、1日の最高気温と最低気温がともに2.2度上昇すると予測した。
 真冬日は東北地方の沿岸ではあまり見られなくなり、1日の最低気温が0度未満となる冬日は、西日本の平野部ではほとんどなくなるという。

 降水量は日本海側で減少し、逆に太平洋側では1カ月で20ミリ前後増えるという。温暖化でシベリアの気温が上がり、冬型の気圧配置が続かなくなるため。南からの暖気が日本列島まで北上し、気圧の谷が通過しやすくなるためだ。
 日本海側の降雪日は、1カ月で4日以上減るとみている。

(朝日新聞2001/04/14 )



砂漠化 乱伐の果て・・・干上がる湖  


 2000年12月11〜22日までの日程で、ボンで開催中の砂漠化対処条約締約国会議では、国際機関や民間活動団体(NGO)による支援活動が協議された。飢えと貧困に直結する最大の環境異変。それが砂漠化だ。

 サハラ砂漠に接する西アフリカのマリ。環境NGO「緑のサヘル」(本部・東京都江東区)の代表理事、高橋一馬さん(53)は、眼前に広がる殺伐とした光景に息をのんだ。

 マリを貫くニジェール川中流のファギビヌ湖は、地図の上では黄色の砂漠にぽっかり浮かぶ“青い島”として描かれる。その貴重な水がめが、見る影もなく干上がっていたのだ。今世紀最悪とされる1984年の大干ばつから2年後のことだった。

 かつて水辺だった所で、木製の船が砂に埋まっていた。集落の人影はまばら。藍(あい)染めの伝統衣装に身を包んだトワレグ族の男たちが、無表情に茶をすすっていた。「町が死んでいる」。高橋さんは思った。

 セネガル、マリ、ニジェール、チャド……。昔、サハラという広大な砂の海を渡り切ったアラブ商人が、地表に緑が現れるこの一帯を「サヘル(岸辺)」と名づけた。そこが今、砂漠化の荒波に襲われている。四国と同じ面積があったチャド湖も、ファギビヌ湖と同様、この四半世紀で十分の一にまで縮小してしまった。

 砂漠化の進行は、長期の干ばつに加え、自然の回復力を上回る耕作や過剰な家畜の飼育、徹底的な樹木伐採がもたらす。サハラ砂漠は毎年5キロずつ南へ広がっているとされる。

 人口増加の一方で、荒廃した土地を捨てた人たちが難民となる。内戦が勃発(ぼっぱつ)する。生活と環境がますます疲弊するという悪循環。サヘルは、今では慢性的な食糧不足が続く“飢餓ベルト”でもある。

砂漠化地域の大陸別内訳
(91年、国連環境計画による)
地域名(大陸別) 砂漠化地
域の割合
アジア 36.8%
アフリカ 29.4%
北アメリカ 12.0%
オーストラリア 10.6%
南アメリカ 8.6%
ヨーロッパ 2.6%

 91年の国連環境計画(UNEP)の報告によると、砂漠化の影響を受けている土地は、地球上の全陸地の約四分の一、36億ヘクタールに上る。そこに世界の人口の六分の一に相当する9億人が暮らしている。地域別に見ると、アフリカが10億ヘクタール、アジアが13億ヘクタールで、両地域だけで全体の三分の二を占める。

 アジアでは、中国の砂漠化が深刻だ。「木はすべて伐採され、植物も家畜が根こそぎ食べ尽くした。そこに土壌の浸食が追い打ちをかける」。2000年、初めて内モンゴル自治区を訪れた高橋さんの目にも、その実態は「アフリカ以上に深刻」と映った。

 黄河の中流域に広がる黄土高原でも、砂漠化の影響で農作物の生育に大きな影響が出ている。2000年4月、中国の首都・北京の街全体が黄色に染まった。過去十年で最大と言われる「黄砂」の襲来だった。

 砂漠化を加速させる気候変動の背景には、先進国の豊かな暮らしがある。原因となる地球温暖化が、主に化石燃料の大量消費と森林の伐採によって引き起こされているためだ。

 サヘルの大干ばつをきっかけに94年、砂漠化対処条約が制定されたが、日本が批准したのは4年もたった98年。これまで770万ドルを拠出するなど、締約国の中では最大の財政的貢献をしながら、国民の関心は依然として低い。

 砂漠化の回復には進行に要した以上の時間が必要とされる。砂漠化進行を食い止めるさまざまな試みはあるが、21世紀を目前にした今も、技術的な見通しは立っていない。環境面での国際協力を外交の柱に据える日本。技術と人材の真価が問われるのはこれからだ。

(2000.12.13読売新聞加筆)



『原点』から水環境探る
第9回世界湖沼会議  2001年11月開催、17年ぶりに琵琶湖畔で
 「湖沼環境」の保全をテーマに、研究者や市民、行政関係者らが集う国際会議「第9回世界湖沼会議」が2001年11月、琵琶湖畔の大津市を主会場に開かれる。
 琵琶湖は第1回会議(1984年)の開催地で、17年ぶりの“里帰り”会議。
 約50カ国から5000人以上の参加が見込まれ、気候、社会体制の違いを超えて湖沼と自然、人間の生活を考え、21世紀の淡水資源管理のあり方を地球規模で探る。また、17年間の水環境改善の歩みも検証する。環境NGO(非政府組織)も「市民主導で環境再生の実現を」と積極的にかかわっており、会議の主役になりそうだ。
 ◆“里帰り”会議
 会期は11月11〜16日で、メーンテーマは「湖沼をめぐる命といとなみへのパートナーシップ〜地球淡水資源の保全と回復の実現に向けて」。本会議は同12日に開会し、全体会議、5分科会のほか、「国際環境ビジネスメッセ」などの関連事業も企画されている。

 第1回会議は、京阪神の水需要などに応える国の利水・治水事業「琵琶湖総合開発」(1972〜97年)の最初の10年が過ぎたころだった。赤潮の発生など水質汚濁が社会問題となり、危機感を抱いた住民がせっけん使用を勧める「せっけん運動」が広がった。滋賀県では、有リン合成洗剤の使用・販売を禁止する「琵琶湖富栄養化防止条例」を80年に施行するなど、環境意識が高揚していた。

 会議で採択された「琵琶湖宣言」は、「未来の人類のために、湖沼を健全な状態に保ってゆかねばならない」とうたい、住民参加の湖沼行政の確立や、研究開発などでの国際協力を提言した。

 それから17年。さまざまな対策にもかかわらず、水質汚染の度合いを示す窒素やCOD(化学的酸素要求量)の値は横ばいで、赤潮やアオコも毎年のように発生している。失われた環境の再生は容易ではない。

 ブルーギル、ブラックバスなど外来魚の流入による生態系破壊や、水上バイクなど湖上レジャー客の増加による騒音といった問題も、新たに生じている。

 琵琶湖という原点に立ち返って積み重ねを検証し、新しい課題の解決策を探るのが、今回の会議の狙いでもある。

 ◆途上国参加を支援
 第1回世界湖沼会議で創設が提唱され、86年に発足した国際湖沼環境委員会(ILEC)は、会議開催のほか、途上国の利水・治水担当者を対象に水質保全技術などの研修を日本で行ってきた。これまでに約30カ国110人を迎え、昨年からはアジアのNGOの研修も始めた。

 小谷博哉・ILEC事務局長は「淡水資源が本当に危機にひんしているのはアジアやアフリカなどの国々。途上国の技術者やNGOが先進国の対策を学び、先進国は危機の現実を知って支援に乗り出すきっかけにしたい」と、公害で深刻な環境破壊を経験した日本だからこそできる国際貢献を強調する。今回、途上国からの参加を促すため、渡航費や滞在費を一般からの寄付で補う支援制度も設けた。

住民参加で“学会化”返上
 ◆市民が主役に
 研究者、行政、住民の三者が一つになって、英知を結集するのが世界湖沼会議の目的だが、回を重ねるごとに「学会化している」という批判もある。

 これを受け、環境の世紀とされる21世紀最初の節目に会議を「本来の姿に戻したい」という思いから、今回は主催者側も“市民”というキーワードを強く意識。企画運営の重要ポストに市民団体メンバーが加わり、分科会でも「環境政策プランニングと住民参加」といったテーマが並ぶ。市民サイドの動きも活発で、既に国内外の30以上の団体が本会議とは別に、独自の会議・イベントを企画している。

 滋賀県内の環境団体は2000年5月、「湖沼会議市民ネット」を結成。霞ケ浦(茨城県)や中海(島根県)などの住民団体と共同でワークショップを予定しているほか、湖沼保全NGOの国際プロジェクト「リビングレイクス」(本部・ドイツ)を会議に招く。井手慎司・同ネット事務局次長(滋賀県立大助教授)は「市民主導で企業や行政とのパートナーシップを築くモデルを琵琶湖でつくりたい」と話している。
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世界湖沼会議の開催地
第1回 1984年 日本・琵琶湖
第2回   86年 米国
第3回   88年 ハンガリー
第4回   90年 中国
第5回   93年 イタリア
第6回   95年 日本・霞ケ浦
第7回   97年 アルゼンチン
第8回   99年 デンマーク
第9回 2001年 日本・琵琶湖
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◇世界湖沼会議
 1984年8月、29カ国の約2400人が参加して大津市で開かれた「世界湖沼環境会議」(滋賀県主催)が始まり。1回限りの予定だったが、国連環境計画(UNEP)などの協力で継続開催が決まり、国際湖沼環境委員会(ILEC=事務局・滋賀県草津市)と地元自治体との共催の形で、2〜3年ごとに世界各地で開かれている。


琵琶湖の体験、21世紀へ−−環境シンポ、大阪で開催
 ◇会議に向け意識高める−−関西から願い発信
 琵琶湖の水とともに歩んできた関西から、湖沼会議の舞台で世界に発信できるメッセージは――。毎日新聞社は国土交通省近畿地方整備局と共催で2月21日、大阪市北区の毎日新聞オーバルホールで環境シンポジウム「関西ウオーター〜琵琶湖・淀川との共生を考える」を開いた。暮らしの中でうまく自然の水を循環させていた30〜40年前の知恵を振り返り、「失われた水環境の再生を21世紀に図りたい」という共通の思いがパネリストから聞かれた。

 琵琶湖の研究に携わって約25年の嘉田由紀子・京都精華大教授(環境社会学)は、炊事や洗濯に湖水を使っていた生活が、上下水道の普及で便利さを獲得したのと引き換えに激変した昭和30年代以降の経緯をたどり、「水が遠くなった」と表現。水神様など日本人の歴史で継承されてきた水文化を評価し、「湖沼会議では環境問題を物質面だけでなく、精神レベルで語り合いたい」と話した。

 また、母親が「せっけん運動」に取り組んでいた滋賀県出身の水野晶子・毎日放送アナウンサーは、泳いで遊んだ琵琶湖が「十数年前に取材で訪れたら湖底がヘドロで覆われ、ショックだった」と語った。国土交通省淀川工事事務所の占部幸子技官は、地域住民との話し合いを重視する河川行政への転換について説明。神戸市出身の落語家、桂あやめさんは、阪神大震災で昔ながらの井戸が消火活動に役立ったことなど、身近な水の再認識を訴えた。

 全国の生協で唯一、エコロジー商品を専門に扱っている滋賀県環境生協の藤井絢子理事長は「未来世代へ不安をつけ回している」との危機感を語り、湖沼会議を「20世紀の琵琶湖の経験をアジアの途上国に伝え、連携を図る議論の場としたい」と位置付けた。
(毎日新聞2001年2月26日)
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